金子エンタ!

小説「文房具屋に生まれて」

2015.02.02 Monday


第10章 くすり屋に生まれて


そよ風がちょっとだけ涼しくて、気持ちのよい秋の始まりの日だった。

向かえのくすり屋のおっちゃんが死んでしまった。

お酒を飲んで、咳薬を大量に飲んで、お風呂に入って、心臓マヒだったらしい。

くすり屋は3日くらいシャッターが閉まりっぱなしだったので、もっと早く気づけばよかったのだけれど、おばーちゃんもおかんも気づかなかった。

くすり屋のおっちゃんはサボり癖があったので、平日もシャッターが閉まるっていることが多かったし、向かえだったので逆に少しの変化に気づかなかった。

3年前、くすり屋のおばちゃんが1人息子の孝ちゃんを連れて出て行って以来、おっちゃんは天涯孤独の身になった。

警察からの連絡を受け、3年ぶりにおばちゃんと孝ちゃんがこの町に帰ってきた。

孝ちゃんはぼくの3つ上でよく遊んでもらった。
キャッチボールの時は手加減して投げてくれるのだが、それでもビューンと唸っていた。

二人でよく落とし穴を掘った。
近所の子供達がバッタ取りにいく広っぱがあり、そこに続く小道に穴を掘って、新聞紙で蓋をして土をかぶせた。

ぼく達は少しはなれた木陰から誰かが引っかかるのを待った。

はじめは15センチほどの深さで、引っかかった子供は足首くらいがずぼっと埋まり、ちょっとよろめくのを見て、ぼく達は声を押し殺して笑った。

「昭、いっかいうち帰るぞ」と孝ちゃんがいって、穴を埋め始めた。

「こうちゃん、もう一回やろうや!」とぼくがいった。

「もっと深くほんねんや」
家についた孝ちゃんはくすり屋の裏庭から大きなシャベルと新聞紙を持ってきた。

ぼく達は小道に戻り、誰も来ないのを確認して急いで穴を50センチくらいの深さまで掘った。

そして新聞紙何枚かで蓋をし、土を薄くかぶせて木陰に隠れた。

普段、子供しか通らない小道に、なぜか牛乳屋のおっちゃんが自転車でやってきた。

牛乳屋のおっちゃんは町の人気者で、いつもキャラメルを持っていて、子供に会う度に「勉強がんばりや」といってキャラメルを一個くれた。

孝ちゃんが「あかん」と小声で呟いた瞬間、牛乳屋のおっちゃんは宙を舞っていた。

「ガッシャン」という音とともに、牛乳瓶が砕け散り、おちゃんは地面に倒れていた。

牛乳屋のおっちゃんはぴくりとも動かなかった。

孝ちゃんがぼくの肩をたたき、目で「逃げるぞ」と合図した。

帰り道「牛乳屋のおっちゃん死んでへんかなぁ?」とぼくは孝ちゃんに聞いた。

「大丈夫や」といった後「絶対に誰にも言うなよ」と孝ちゃんは付け加えた。

ぼくたちはそれぞれのお店に帰った。

ぼくは夕飯がのどを通らなかった。

「あんた、元気ないけど、なんかあったんか?」とおかんが聞いた。

夕飯のあと、不安でいたたまれなくなり、本屋に行ってくると嘘をついて、牛乳屋に様子を見に行った。

牛乳屋はシャッターが閉まっていたので、中の様子は分からなかったけど、店の前に前カゴが変形した自転車が置いてあったので、牛乳屋のおっちゃんが死んでいないことだけは分かった。

店に帰ったぼくに「あんた、絶対なんかおかしいわ」とおかんが言った。

ぼくは泣きながら今日のことを説明した。

「悪いことばっかりして、あほ!」
「牛乳屋のおっちゃんのとこへ謝りにいくで」とおかんが言った。

先にくすり屋に行きおかんがおっちゃんに今日のことを説明した。

「孝介!!」とおっちゃんが2階にいた、孝ちゃんを呼びつけた。

それから4人で牛乳屋に謝りにいった。

おかんがシャッターの横にあるブザーを「ブー」と2回鳴らした。

ぼくは、牛乳屋のおっちゃんの怪我がひどくないことだけを祈っていた。

シャッターの横の小さな扉が開き、牛乳屋のおばちゃんが出てきて、ぼく達はお店に入った。

奥でおっちゃんがテレビを見ていた。
額と肘にバンドエードを貼っていたが、他はなんともないようだった。

ぼくと孝ちゃんはおっちゃんに「ごめんさない」と6回くらいあやまった。

「ほんまびっくりしたで・・。
あんまり深い落とし穴は危ないから、これから浅いのにしときや」とおっちゃんは笑っていった。

帰り際、ぼくと孝ちゃんにキャラメルを1箱づつくれた。

おかんが「割れた牛乳、弁償しますわ」といったけれど、おっちゃんは受け取ろうとしなかったので無理やり机の上に2千円を置いて店を出た。

店の前でくすり屋のおっちゃんは孝ちゃんを5,6発手加減なしで殴った。

店に帰ったら、おとんはにやにや笑って「わしがちっちゃい時は背丈くらい穴ほったで」といった。

ぼくはおとんがおとんでよかったと思った。
孝ちゃんはくすり屋のおっちゃんの事が嫌いだった。

賭け事とお酒が好きでおばちゃんと孝ちゃんによく暴力を振るうからだと思う。

「死んでもうたらええ」とよく言っていた。
孝ちゃんがこの町に帰ってきていた2日間、ぼくは孝ちゃんと一言も喋らなかった。

あんなに仲がよかったのに。
3年ぶりに再会すると気恥ずかしかった。

孝ちゃんも同じ態度で、お互いがお互いの存在を無視していた。

お葬式が終わりおっちゃんの棺が霊柩車に乗せられた。

そして霊柩車が長いクラクションを鳴らして出発した時、孝ちゃんが声を上げて泣き出した。

ぼくは孝ちゃんが、くすり屋のおっちゃんの事をものすごく恨んでいると思ったので、すごく驚いた。

おばーちゃんが孝ちゃんの肩を優しく揉んだ。

すっかり日が暮れたころ、くすり屋のおばちゃんと孝ちゃんがお店に「今から和歌山に帰る」と挨拶にやってきた。

その時が孝ちゃんと口を聞く最後のチャンスだったけれども、結局何も話せなかった。

おとんが「孝ちゃんがんばりや」といった。

孝ちゃんは「はい」と頷いた。

それから、みんなで路地に出て2人が駅に向かうのを見送った。

角をまがるほん手前で孝ちゃんが振り向き手を振った。

孝ちゃんはぼくを見ていた。

ぼくも手を振り返した。

そして2人は角を曲がり姿が見えなくなった。
何年か経ってぼくはテレビの中で孝ちゃんを見つけた。

夏の甲子園大会で孝ちゃんは和歌山代表校のエースだった。

テレビの解説者は「エースの前川くんは幼いころお父さんを亡くされて、お母さん1人に育てられました。
天国のお父さんが見守ってくれているでしょう。
」と解説していた。

孝ちゃんの投げるストレートはあの日とおなじでビューンと唸りを上げていた。

2015.02.01 Sunday


第11章 おかんとぼくの暗黙同盟


12月になって、その年はじめて雪が降った日、ぼくの住んでいる梶田町が市に昇格した。
大阪市のベットタウンとして人口が増え、町が栄えた証だった。
おばーちゃんのお店はてんやわんやだった。

町中の会社や商店が名刺や封筒などの印刷物を作り直さないといけなかったので、印刷物の特需がやってきた。
それに加え、年末の需要と重なり、もはや、おかんとおばーちゃんとおとんだけでは、どうしようもないくらい忙しかった。

ぼくも、放課後は友達ともほとんど遊びに行けず、夕飯までの時間をお店の手伝いに借り出された。

ある日の夕飯で、おとんはパートの事務員さんと配達員を雇うと言い出した。

おばーちゃんは「いつ暇になるかもわかれへんし、家族以外には気を使うから、そんなんやめとき」と言った。

ぼくはおかんもおばーちゃんの意見に賛成するのかと思ったけれど・・。

おかんはよっぽど忙しかったのか・・。

以外に「パートやったら、暇になった時やめてもらえばええやん」と珍しくおとんの肩をもった。

おばーちゃんは珍しくむっとしていた。
1週間くらいたった頃、電話工事の人が来て電話を設置にやってきた。

最新式の電話機だった。

サーモンピンク色でダイヤルの部分が丸くなく、その代わりに0から9のボタンと#と書かれたボタンが付いていた。
次の月曜日、学校から帰ってきたら北島さんというおばちゃんと、木村正志という名のおにーちゃんがお店にいた。

その頃になると、店に買いにくるお客さんより、配達が多くなっていたので、おとんが陳列棚を2つ潰して、グレーの事務机を2台置いた。

壁に向かって北島さんと正志にーちゃんは隣同士座っていた。

「ぼく、こんにちは。
これからよろしくね」と北島さんがいった。

正志にーちゃんは「よろしくお願いします。
」と小学生に向かって敬語だった。

なんか家族が増えたみたいだったので、ぼくはすごく嬉しかった。
電話番の北島さんはおかんよりちょっと年上で、大阪市内の一流商社に勤めた経験がり要領がものすごくよかった。

おかんは電話に出ると、すぐ世間話に花を咲かせ長くなるのだけれども、北島さんは用件だけをてきぱきと聞いてすぐに電話切っていた。
しかも感じがよかった。

1週間もたたないうちに北島さんは、おばーちゃんとおかんを足したくらいの電話の量をこなしていた。
正志にーちゃんは苦学生で、電車で5つ離れた駅の夜学生だった。

奈良県で一番京都よりの町の出身で、大阪の夜間大学に通うためこの町に下宿していた。

絵に描いたようなまじめ人間で、おとんとそっくりな黒ぶちのめがねをかけていた。
ある日から、正志にーちゃんとおとんがペアーで配達に出かけるようになった。

おとんが車を運転して、配達先の前に止め、正志にーちゃんがダッシュで商品を持って行き、お金をもらってくるというやり方だった。

その作戦は功をそうし、こちらもまた倍くらいの配達をこなした。

ある日からおかんとぼくは、暗黙に同盟を結成した。

おとんとおばーちゃんが事あるごとに、北島さんと正志にーちゃんを褒めるので2人とも嫉妬に頭を支配されていたからだ。
夕飯ではいつもおかんは北島さんのことを「杓子定規やわ」と悪口をいい、ぼくは正志にーちゃんのことを「声が小さいくて、元気がないわ」と生意気を言った。
同盟中、おかんは気持ち悪いくらい優しかったし、ぼくも気持ち悪いくらいおかんの前でよい子だった。

冬休みに入って間もないある日、おばーちゃんのお店に緊急事態が発生した。

おとんが39度の熱を出し、おばーちゃんが持病の胃痛で同時に寝込んでしまった。
朝出勤して来た正志にーちゃんがそれを知ると、おかんの自転車の荷台にダンボール箱を縛り付けて、商品と伝票を握り締め、鬼の形相で配達に出かけた。

ぼくも負けじと自転車で配達に出かけた。

北島さんも朝から、いつもよりいっそう眉毛をきりっとさせ、電話を掛けまくった。

車でしかいけなさそうそうな、得意先を住所録でしらべ配達は明日以降になると説明していた。

おかんも燃えていた。

持って出た商品を配達し終わり、お店に戻るとおかんが次の「品出し」をしてくれていた。

いつしか自然にぼくとおかん、北島さんと正志にーちゃんというペアーになっていた。

文房具屋に生まれたぼくと、文房具屋に嫁いだおかんにとってこの勝負は負ける訳にいかなっかった。

もちろん、北島さんと正志にーちゃんはそんなことを、意識しているはずもなかったのだけれど・・。

4人は1日中走り回った。
自転車で行ける範囲の配達が全て終わった頃、ちょうど日が暮れた。

「そろそろ終わろうか」とおかんがいった時、正志にーちゃんが「どうせ、もう学校も間に合えへんし、もう一件だけ行ってきます。
」といった。

北島さんが1件の得意先に電話をした。
午前中に電話して怒られたお客だった。

「さきほどは失礼しました、今からお伺いできるかもしれませんが、今日は何時までいらっしゃいます?」・・「では、今から行きますので7時前には着くと思います」といって電話を切った。

そして「マサくん、もう一件がんばって」といって商品と伝票を正志にーちゃんに渡した。

正志にーちゃんはいつになく大きな声でにやけながら「行ってきます」と出て行った。

勝負はぼく達の逆転負けだった。
おかんは「松葉屋で巻き寿司15本とタカラブネでケーキ5個こうといで」といってぼくに千円札2枚と五百円札1枚を渡した。

いつもより、だいぶ遅い夕飯は、いつもと違う顔ぶれだった。

おとんの席に正志にーちゃん、おばーちゃんの席に北島さんが座った。
巻き寿司をかぶりつきながら、おかんとぼくの暗黙の同盟は暗黙のうちに解散することにした。

理由はよくわからなかったけれど、爽やかですっきりした気分の夜だった。

2015.02.01 Sunday


第12章 幸運の白いヘビ


ある日、おとんが満面の笑みでお店に帰って来た。
商工会と銀行が共同でお店を建て替えるお金を貸してくれることになったのだ。

もしおとんがサラリーマンのままだったら・・きっとそんな大金は貸してもらえなかったのだろうと思う。

商工会も銀行もいけいけドンドンで
日本の経済も安定成長期から、後にやってくるバブル経済に向かって、誰も止めれない直滑降の時代に突入したのだった。
おばーちゃんとおじーちゃんは結婚して九州の福岡からこの町にやってきた。

どういう経緯で、わざわざ福岡から大阪の小さな町にやってきたのかは聞いた事がないけれど・・・、
「結婚に反対された、おじーちゃんがおばーちゃんを無理やり連れ去り、汽車を乗り継いでこの町にやってきた。

ぼくは、そんなロマンチックなストーリーを信じている。

まさに胸がきゅんとする大正ロマンだ。
おじーちゃんは若いころすごく働き者だった。

私鉄の電鉄会社で整備の職工さんからはじまり、仕事ぶりが認められ最後は偉いさんのちょっと手前までになったらしい。

おばーちゃんとおじーちゃんには4人の息子と2人の娘がいた。
おとんは一番末っ子の4男だった。

そうやっておばーちゃんとおじーちゃんは6人の子供を育て、小さいながらも家を建てた。

おばーちゃんのお店は、昭和7年生まれだった。

今では大雨の日は雨漏りがするし、冬は隙間風がびゅーびゅーと入ってストーブ無しでは過ごせないくらい寒く、快適とは程遠い空間ではあったが、僕たち家族の悲しい事やつらい出来事を全部飲み込んでくれた。
僕たち家族にとってそんな建物だった。
ローンの本契約が終わった日の夕飯、おとんはお店建て替えの基本プランをみんなに発表した。

「新しい店は2階建てで、1階は店と居間や」
「2階にみんなの部屋を作ったる。
一人一部屋や」と言った。

みんな目をらんらんにしておとんの基本プランに聞き入っていた。

ぼくは「部屋にじゅうたん敷いてほしいねん」と言った。

おとんは「よっしゃ、買うたろ!」と力強く言った。

2階のベランダに花を植える花壇のスペースを作ってほしいとおかんが言った。

おとんは「お前がそんなマメなことする訳ないやんけー、花がかわいそうや・・。
」と却下した。

おかんはほぺったを膨らまして、すねたふりをした。

それを見てみんな大笑いだった。

とても幸せな夕飯もそろそろお開きになった時、
おばーちゃんが「そんな、ええ事ばっかり考えてたら、ええ加減バチ当たんで・・・」と言った。

おとんもおかんもその一言にどきっとしたけれど、聞こえないふりをしていた。
翌週のことだった。
良子がお腹をひどく痛めて、救急車で運ばれ緊急手術を受けた。

急性の腹膜炎だった。
ぼくも、配達中に自転車と自転車が正面衝突をして、足首を7針縫う怪我をした。
おとんは、その週にスピード違反で2回つかまった。
金田家は不幸の連続だった。
おばーちゃんのいった「バチ」が当たったのだ。
ある日の夕飯でおかんが「死んだおじーちゃんが怒ってはんねんわ」
「お店の建て替えはやめといたほうがえんちゃう」とつぶやいた。

みんな箸を止めてかたまった。
家族全員こころに引っかかる物をもったまま、それでも建て替えの計画は進んでいった。
おとんは知り合いの辻岡運送に頼み、10坪ほどの倉庫を借りた。

そこに、一時的な事務所を作り在庫も一緒に置いて、建て替え工事中も文房具屋ができるように準備をした。

お店を取り壊す前の日、辻岡運送の作業員と一緒に荷物を運び出す作業した。

最後に仏壇を仏間から運びだした時、本当に信じ難い話だけれども・・・。

真っ白いへびが仏壇の裏からにょろと出てきた。

おかんもおとんもぼくも、腰を抜かした。

「やっぱり、おじーちゃんが怒ってはる!!」とおかんが叫んでおとんとぼくは青ざめた。
おばーちゃんは笑いながら
「これは幸運の白ヘビや」と腰を抜かしているぼくらに向かって言った。
おばーちゃんだけが知っていた。
その白ヘビはやっぱり、おじーちゃんだった思う・・。
半年後、お店は新しくなったけれど、それから20年以上、新しいお店もまた、前と変わらず僕たち家族の悲しい事や辛い事の全てを、やっぱり飲み込んでくれた。

おばーちゃんの言ったとおり、あの日の白ヘビは幸運の白ヘビだった。

2015.02.01 Sunday


第13章 パンチパーマとおんなごころ


ある日、学校からお店に帰ると、電話番の北島さんが別人になっていた。

お下げ頭を短くし、パーマを少しかけて聖子ちゃんカットになっていたのだ。

後ろから見ると、確かに聖子ちゃんみたいだったけれど、前から見たら違和感たっぷりで北島さんの変貌についてみんな「きれいになった」とか「わかく見える」とか言っていたけれど、本当は少し微妙な思いを感じていた。
おかんだけは違い、本気で「あんた、その髪型ものすごくええわ」と連呼していた。

北島さんとおかんは年齢が近いせいもあって、美的感覚も似ていた。

さっそくおかんは最近できた駅前のビルに入ったパーマに行って、パーマを当ててきた。

結果は意外にも大当たりだった。
普段容姿のことをほとんど気にしないいおかんだったけれど、北島さんより少し顔が小さいこともあり、ショートカットにパーマヘアーは本当に5つくらい若く見えた。

おとんも珍しく「ええやんけ・・。
」とまじめに言って、正志にーちゃんにいたっては「奥さん、ほんま素敵ですわ!」と言っていた。

正志にーちゃんもここ数ヶ月で口がだいぶうまくなったと僕は思った。

朴訥で口下手な正志にーちゃんの一言でよりいっそう真実味を帯び、おかんは最高潮に上機嫌だった。
次の日、自分で髪型をセットして、初日ほどのオーラーは消えてしまったものの、お店に来る問屋の営業マンや商店街の人々も口々に「奥さん、若なったなぁ」と言った。

おかんは「朝がものすごく楽やねん」と照れながら答えていたけれど、本当はいつもより倍くらいの時間をかけてセットしていた。
しばらくして駅前通り商店街にパーマブームがやってきた。
おかんが商店街のファッションリーダーで、丸井精肉店のおばちゃんも、大和旅館の双子のおばちゃんも、うどん屋の住み込みのマサちゃんも、みんなパーマをかけた。
小さな町の商店街、みんな変化や刺激を求めていたのだと思う。
おとんもパーマをかけて帰ってきた。
流行のパンチパーマだった。
商店街ファッションリーダーとしてのプレッシャーはおかんに重くのしかかっていたのだと思う。

おかんの頭はパーマ屋に行く度、髪がどんどん短くパーマがきつくなっていった。
ある日、パーマ屋から帰って来たおかんの頭は、誰も何も言わなかったけれど、あきらかにおかしかった。

夕飯が終わって、おかんがお風呂から上がって現れた時、居間は大爆笑に包まれた。

おとんと同じパンチパーマになっていたのだ。

おとんは「おれと同じやないか・・。

「あさっての商店街の寄り合い一緒に行くか?」と大笑いして言った。

ぼくと良子は「パンチ!パンチ!」と手拍子で掛け声をかけた。

お腹がよじれると思うくらいおかしかった。

ちょっとむっとした顔でおかんは洗面台に行ってドライヤーを「ブンブン」ならした。

10分後戻ってきたおかんを見て「ドリフの雷さまやんけ!!」とおとんが言ってまた、みんなで大笑いした。

タイミングは絶妙で、居間のテレビでは「火曜ドリフの大スペシャル」が流れ、高木ブーがウクレレを持って「雷さま」をやっていた。

今度は腰から下が、もげてしまうんじゃないかと思うくらいおかしかった。
床に笑い転げている僕たちに、おかんはいきなり持っていたクシを投げつけた。
みんな一斉におかんの顔を見上げたら、おかんは目を真っ赤にして薄涙を浮かべ、「もう寝る」と言って2階に上がった。
おとんもぼくもちょっと悪いことしたと思ったのだけれど、普通を装って「火曜ドリフの大スペシャル」を最後まで見てお風呂に入って寝た。

ぼくは布団に入ってから、おかんがなんであんなに怒ったのか考えて見たけれど、普段は家族がお互い笑いの種になってうまくいっていると思ったので、理由はよくわからなかった。
しばらくして、おとんが商店街の旅行で伊勢志摩に行き、お土産に真珠のネックレスをおかんに買ってきた。

きっとあんなに笑ったことを悪いと思ったのだろう。

おかんはちょっとましになった髪形に真珠のネックレスで、鏡を見てちょっと嬉しそうだった。
「ゆるいパーマのほうが似合うで」とぼくがおかん言ったら「短こうて、きついほうが長いこともつから安つくねん」とおかんは答えた。
ぼくはおかんがパーマを止めるのかなと思ったけれど・・。

パーマブームがひととおり落ち着いてからもずっと、短くてクリクリのパーマはおかんのトレードマークになった。

2015.02.01 Sunday


第14章 誕生日には筆ばこを・・


妹の良子とは3つ違いだった。

この年頃の男女の兄弟はなんとなく微妙で、男同士の兄弟だったら、プロレスごっこや、キャッチボール、時には本気のけんか・・となにかとやることはあるのだけれど、妹とは趣味も遊びも共通するものはなかった。

良子はどう思っていたのか知らないけれど、その当時、僕は良子のことをむしゃくしゃした時にいじめる相手としか思っていなかった。
(もちろん今は無二の妹で、とても大切に思っている。
)良子はとにかく、運がないというか、どんくさいというか、何かにつけてとろい奴だった。

小さい頃、アパート2階から落ちて死にかけるし、ストーブのやかんで大やけどは負うし・・。

駒つきの自転車でブレーキをかけれず、1人チキンレース状態の末、どぶ川につっこんで、近所のおばちゃんに救出されたこともあった。

勉強は一生懸命やるのだけれど成績はいつも中の下だった。

ある年、町のクリスマス会の少年少女合唱隊に応募したのだけど、形ばかりのオーディションで緊張のあまり1小節も声が出ず、一人だけ落選した。

そのときばかりはおかんも「この子はちゃんと生きていけるやろか?」と本気で心配していた。
ある日の夕飯後、ぼくが自分の部屋でプラモデルを作っていると、珍しく良子が入ってきた。

「お兄ちゃん、200円貸してほしいねん」
「おかんに頼め」と僕は冷たくあしらった。

良子の友達、咲ちゃんのお誕生会が週末にあって、プレゼントを買いたいのだという。

ぼくはその時、おかんに頼めない理由がピンときた。

友達のお誕生日会のプレゼントはおかんが問屋の営業マンを半分脅して、それなりにかわいらしい筆箱をただで持ってこさせ、その中に鉛筆と消しゴムを入るだけ入れて持たせてくるのがお決まりだった。

お誕生日会から帰ってくるとおかんはいつも決まって
「喜んではったやろ」と聞く。

筆箱セットは主役の親たちに、ものすごく好評だった。

いずれガラクタになるおもちゃなんかより、家計のお財布に直接効果を発揮する文房具は現実的だったからだと思う。

ぼくもたまには自分でプラモデルとかを選んでプレゼントしたいと思ったことはあるので、良子の気持ちは少しわかった。

今回はどうしても咲ちゃんにキャラクター物のシールをプレゼントしたいと良子がいった。

きっと咲ちゃんに頼まれたのだと思う。
ぼくはいいことを思いついた。

「200円はお前にやるわ・・。

「その代わり兄ちゃんの言う事聞くか?」
良子は何の迷いもなく笑顔で頷いた。

ぼくは、この前の誕生日におばーちゃんに買ってもらった、録音機能付きのラジカセの電源を入れ、紙の切れ端に「お兄ちゃんの、見たいテレビがあるときは絶対チャンネルを変えません。
絶対、絶対、絶対」と書いて良子に渡した。

そして録音ボタンを押して、良子の肩をこずいた。

「お兄ちゃんの、見たいテレビがあるときは絶対チャンネルを変えません。
絶対、絶対、絶対」と良子が紙を読み上げた。

ぼくは貯金箱から200円を出して良子に渡した。

良子は嬉しそうにそれを受け取って自分の部屋に帰っていった。
その週末、ぼくは居間で阪神巨人戦を見ていると良子が咲ちゃんのお誕生会から帰ってきた。

案の定、良子が歌番組を見たいと言って、おかんが「10分ずつ交代や!!」と言い出したので、僕は例の切り札を出すことにした。

ラジカセを部屋から持ってきてみんなの前で再生した。

「お兄ちゃんの、見たいテレビがあるときは絶対チャンネルを変えません。
絶対、絶対、絶対」とラジカセの中から良子が嬉しそうにしゃべった。

普段、たたいたり相当の意地悪をしても、めったに泣かない良子だったけれども、その時ばかりはよっぽど悔しかったのか、瞳一杯に涙をためていた。

僕はなんとなく悪いことしたと思ったけれど、いい気分の振りをして阪神巨人戦の続きを見ていた。
ラッキーセブンの、阪神の攻撃が終わった時
おとんが「昭、タバコこうて来てくれ」といった。

ちょっとめんどくさかったけれど、これから巨人の攻撃が始まるところだったし、タバコを買いにいくと、100円貰えるので行くことにした。
うちに帰ると家族みんなで歌番組を見ていた。

ぼくがチャンネルを阪神戦に変えた時、おかんがラジカセのスイッチを押した。

「いい湯だな〜あ・は・は・ん・・」
ラジカセから、おとんが歌うドリフターズの「いい湯だな」が流れた。

良子の誓いの言葉はすべておとんの歌で上書きされていた・・。

「巨人と卑怯もんは必ず負けるんや!!」とおとんがいった。

良子は満面の笑みでおとんに抱きついた。
9回さよならホームランで僕の逆転負けだった・・。
何でそんなテープを取られたか、事情を良子から聞いたおかんは、それからプレゼント代をくれるようになった。
友達にあげるプレゼントを選ぶのは、いつもものすごく難しい・・。

もし、プレゼントに迷ったら・・。

誕生日には筆ばこを・・。


目次
<< 3/7 >>
Copyright(c) 2005 KanecoEnta!! All Rights Reserved.