金子エンタ!

小説「文房具屋に生まれて」

2017.02.05 Sunday


第5章 ブルーメタリックの万年筆


おばーちゃんのお店は築45年になる。
もともと普通の住居だったのだが、7年前おじーちゃんが死んだのをきっかけに玄関と居間の壁を取っ払い、ちょっとしたお店が出来るように改造した。
きっとお店でもしていればおばーちゃん一人でも寂しくないと思ったのだろう。
全体的に老朽化し、あちこち痛んでいたので、大雨の日は所々で雨漏りがする。

だいたい雨漏りがする場所は決まっていたので、商品が濡れないよう陳列棚はそこを避けて置かれており、そのため全体のレイアウトがややいびつになっていた。
そんな古びたおばーちゃんのお店の中で、他とは雰囲気が違う一画がある。

そこは一番入り口に近い陳列棚で、他の棚は殺伐しているのだが、そこだけはいつもぴかぴかで、高級万年筆が20本くらい整然と並んでた。
万年筆は半年に1本くらいしか売れない。
町内の人の身内や親戚が進学したり、学校を出て就職したりする時にお祝いとして買ってもらえるケースがほとんどだった。

仕入れに値が張り、かつあまり売れない万年筆を置いていたのは、おそらくおばーちゃんの文房具屋として唯一のプライドだったように思う。

当時の文房具屋にとって万年筆は鮨屋のトロと同じ存在だった。
仕入れも他の商品と違い慎重だった。

万年筆が売れた次の仕入れの日は筆記具のマルハタに行き、1時間か1時間半かけて慎重に品定めをしていた。
おばーちゃんは必ず2本の万年筆を仕入れた。

そうやって初めは5本くらいの在庫が、一本売れるたびに倍になり20本くらいまでに増えた。
1年ほど前に近所の大工さんにお願いし、本体が白板できれいなガラス張り飾り棚を、店の外からでも見える位置に作り、そこに万年筆をディスプレイしていた。
ある日の夕方、学校から店が見える角まで帰ってきたら、店の前にパトカーが止まっていた。
ぼくは胸騒ぎがし、走って店に飛び込んだ。

おかんとおばーちゃんが青ざめた顔で立っていて、おまわりさんが2人刑事ドラマと同じように現場検証をしている。

そして何があったか聞く前にガラスが粉々になった飾り棚が目に飛び込んできた。
白昼堂々の強盗事件だった。
後でわかった事だが、おとんが市役所に出かけ、おかんが夕飯の買い物に出かけるタイミングを見計らい、さらにおばーちゃんが店の奥に引っ込んだ隙をねらった犯行だった。

店からバリーンというガラスが割れる音がしたので、おばーちゃんが店に出た時、既に犯人は外に出ていて、走り去る後ろ姿だけ見えらしい。

一通り現場検証が終わり、警官が帰った後、おとんは「じろさんのとこ行ってくる」と言って出て行った。
じろさんはおとんの中学の先輩で町警の係長をやっていた。
おとんはじろさんにお願いし犯人を早く捕まえて商品を取り戻そうと考えたのだと思う。

一旦冷静さを取り戻したかに見えたおかんだったが、夕飯したくをはじめてすぐ、米を研ぎながらしくしくと泣いていた。
気丈なおかんがしくしくと泣くところを見たのはこれが初めてだった。

ぼくは、沸々とこみ上げる怒りで体が震えたが、次に何をしたらいいかは考え付かなかった。
その日の夕飯は味がしなかった。
おばーちゃんは平静を装っていた。
おかんは目を張らしていた。
おとんはじろさんのところからまだ帰ってこない。
8時くらいになりようやく、おとんが帰ってきた。

じろさんと一杯やってきて、夕方おこった事を忘れているかのように上機嫌だった。

そして駅前のタカラブネで買ってきたケーキの箱を「おかーちゃんにおみやげや」といってテーブルに置いた。
おとんがおかんに優しい事をしたのも初めてて見た。

おかんはケーキの箱を開けてちょっとだけうれしそうだった。
中にはおかんの好きなチョコレートケーキが入っていた。

みんなでケーキを食べた後、おばーちゃんが真っ暗になった店に行き、なにやら取って戻ってきた。
ブルーメタリック色の万年筆だった。
割れたガラスを片付けている時、棚と床の間に落ちているのをおばーちゃんが見つけた。

強盗があわてて一本だけ落としていったのだ。
おばーちゃんは、それを袋から取り出しインクのカートリッジをセットして4、5回強く振った。
その後、スーパーのチラシの裏に試し書きし、ぼくに手渡した。

「あんたにはまだちょっと早いかもしれへんけどこれ持っとき」といった。
ぼくはずしっと重い万年筆でちらしの裏に○を3つ書いた。

何か字を書こうかと思ったのだけれど、何も頭に浮かばなかった。
おかんはおとんのチョコレートケーキが効いたのか、少し元気になっていた。

そして「よおし!あしたからようさんもうけて取り戻すで!!」とつぶやいたのをきっかけに、おかん自身に勇気がみなぎってきたのがわかった。
翌日、割れた棚のガラスは入れなおしたけれど、店に万年筆が飾られことは二度となかった。
おばーちゃんのお店、金田文具店ではブルーメタリックの万年筆が最後の万年筆になった。

2017.02.04 Saturday


第6章 小さな文具屋のイノベーション


ぼくの住んでいた町にはおばーちゃんの店を入れて3件の文房具屋があった。
1店は梶田小学校の目の前にある「コスモス堂」で画材やら絵の具などを豊富に取り揃えていたため、小中学生から大人まで人気のある文房具屋だった。
もう1店は駅前通り商店街にある「山元文具」で、好立地のためサラリーマンがよく利用していた。
これまた繁盛しているお店だった。
おばーちゃんのお店は商店街の一番下手でさらに路地を一本入ったところにあった。

しかも、他の2店と比べめっだった特徴もなかったし、特別安いわけでもなかったので、町では一番影の薄い存在だった。
夏休みも終わりに近づいたある日、おとんが訳のわからない事を言い出した。
「これからの商売は攻めが重要や!」おおかた何かの本か雑誌で読んだのだろう。

おかんとおばーちゃんはぽかーんとしていた。
「うちの店はお客を待つのではなく文房具を配達するんや!!」
「せや!文具の出前や!!」おとんの目がきらきら輝いていた。
「そば屋やあるまいし・・。
」とおかんが突っ込んだ。
たしかに、大阪市内など大きな都市では文具の納品業がその当時からあったのだと思うけれど、会社が少ない小さな町では確かに画期的な発想ではあった。
おとんは早速近所の印刷屋に行き100枚のちらしを注文した。

刷り上ってきたチラシには「文房具出前いたします!!」という文句と電話番号が書かれていた。

おとんはそのちらしを手始めに知り合いの商店や工場に配った。
3日後電話がかかってきた。

電話を取ったおかんはちょっとあきれた顔でおとんに受話器を渡した。

「はい毎度!!」とおとんがむちゃくちゃでかい声で受話器に向かって言った。
ぼくは電話の向こうの相手の鼓膜が破れるんじゃないかと心配した。
「そーですねん。
配達初めましてん。
」「珍しいでっしゃろ」「ノート3冊と赤鉛筆が2本、金サシ1本でんな」とおとんは復唱しながら注文をメモした。
「金サシは来週なりますけどよろしいでっか?」「ほなすぐ届けますわ!!」おとんは電話を切るや否や、車のキーをポケットに入れ、棚から大学ノートひとしめと赤鉛筆1ダースを掴んで慌てて出て行った。

30分後おとんが帰って来た。
そしておばーちゃんに誇らしげに940円渡して、「レジに入れといてや」と偉そうに言った。
「ノート3冊鉛筆3本やったんちゃうん」とおかんがいった。
「「せっかく持って来てくれんてんから全部もらうわ」言うてくれはたんや」おとんはあたかも最初から計算ずくのように言い捨てて、また出て行った。

おとんが出て行った後「ほんま・・ノートと鉛筆売るのに燃料代なんぼかけのんやろ」とおかんが呟いた。
夕飯の用意が出来た頃、おとんが大量のちらしをもって帰って来た。

調子に乗っったおとんは追加で500枚のちらしを印刷してきた。
それを見たおかんは「この町に何件会社がある思てんの・・。
」とあきれ顔で呟いた。
確かにこの町には商店や会社や工場、全部合わせても500件にはならなかった。

おとんに聞こえたかどうかは分からなかったが、その言葉におとんは反応しなかった。
その日以降も一日コンスタントに2件から3件の電話が掛かってきた。

おとんは配達に出るたび、ちらしをもっていった。
ある日びっくり仰天の電話が掛かってきた。

隣町の製パン工場から来年の手帳を900冊見積もりしてほしいという内容だった。
おとんは密かに隣町までちらしを配っていた。
おとんは慌てて手帳専門の問屋に電話をした。

「900冊やで・・。
もうちょっとまけてーや・・。
うん・うん・うん」おばーちゃんもおかんも電話での会話に聞き耳をたてていた。

「260円や」と電話を切ったおとんが言った。

その後印刷屋に電話して会社名の名入れの値段を確認した。

その日の夕飯のテーブルで激しい会議が行われた。

おかんはえげつない値段を提案した。

おかんは万年筆事件以来あせっていたから、ここはいっきに儲けようという作戦だった。

おばーちゃんは「そんなえげつないことしたらあかん」の繰り返したった。

おかんとおばーちゃんの意見が食い違うことは今まで一度もなかったけれど、その夜だけは違った。
激論の末、最後はおばーちゃんが決めた値段でいこうということになった。

次の日の午後、おとんは免許の写真と同じ赤チェックのネクタイをして製パン工場に見積もりをもっていった。
帰って来たおとんにおかんは「どやった?」と聞いた。

おとんは「そんなもん、わからんわい」と言った。
2週間後、工場から電話があり注文をもらえる事になった。

けれどひとつ条件があった。
4月7日と11月4日はパン工場の設立記念日と会社の創立記念日だったので、その日の欄に「記念日」と記してほしいという要望だった。

おとんが印刷屋に聞いてみたけれど、手帳の中のあるページに印刷するのは一旦ばらさないと出来ないとの事だった。
「やっぱり専門業者しか無理やなぁ」とおとんが半ばあきらめ顔でいった。

その時「ゴム印作って押したらええねん」とおばーちゃんが言った。

「ええ考えや」とみんなが声を揃えていった。
おとんが早速工場に電話したところ「それでもええ」といわれた。
冬が始まった頃、お店に900冊の手帳が届いた。

それから1週間夕飯の後の1時間はみんなで、はん押しをやった。
おかんは上下さかさかまに押したのが4つと日付を間違えたのが7つ、合計11冊の手帳をだめにした。

ぼくは6つでおばーちゃんが3つおとんは0だった。

こういう作業はおとんが一番丁寧で、おかんが一番ザツだった。
12月の初め、おとんが工場に手帳900冊を納品し手形を持って帰ってきた。
金田文具店はじまって依頼の大商いだった。
この一件以降、電話の注文はうなぎ上りに増えていき、おかんも文房具の出前をバカにはしなくなった。
年が明けてお店に電話をもう一本引くことになった。

おかんとおばーちゃんが電話を取りおとんが配達専門になった。

おばーちゃんのお店に活気があふれ仕入れの量も増えた頃、問屋が配達してくれるようになった。
楽しみだった土曜日の仕入れは行けなくなったけれども、ぼくはおばーちゃんのお店が繁盛していることの方が嬉しかった。
くすり屋のおっちゃんは将棋がさせなくなり、ちょっと不機嫌だった。
小さな町に小さなイノベーションの風が吹いていた。

2017.02.03 Friday


第7章 一家に一台「マイ ティーチャー」


製パン工場の大商い以降、おばーちゃんと良子を除く僕達一家は商売の鬼になっていた。

というか、お金の神様に魂を売ったのだ・・。
もっと正確言うとお金の亡者になっていた。
ある日、うちに奇妙な機械がやってきた。
縦が50センチ、横が30センチ、高さが20センチほどで、ピンボールのゲーム機を小さくしたような機械だった。

上にアクリル板の蓋がついていて、開けるとレコードを乗せるターンテーブルのようなものがある。

「マイ ティーチャー」という教材機械だった。

裏面の茶色いシートが何十枚か付属で付いていて、そのシートをアクリルの蓋と本体の間に挟んでスイッチを押すと算数やら国語などの講義が始まる。

うちのお店で仕入れが一番多い奈多川商事が「マイティーチャー」の一次代理店になったので、その営業マンがおとんに2次代理店をやってみないかと持ちかけた。

その頃のおとんは向かうところ敵なしでその話にすぐ乗った。

機械なんか扱ったこともないし、それに代理店契約にはノルマみたいなものがあったので、おかんとおばーちゃんは猛烈に反対したけれど、それを押し切りおとんは契約をした。

数日後、販売デモ用の機械と販売マニュアルみたいなものがお店に届いた。

おとんはぼくに「これで勉強しておもろいところ教えてくれ」と珍しくまともな事を言った。
初めはすごく物珍しかったので熱中したのだが、3日もたった頃、機械がしゃべる質問や解説にうんざりしてきた。

機械は褒めてくれたり、怒ったりしないので次第に刺激が薄れていったのだと思う。

通常の使い方に飽きたぼくは面白いことを発見した。

マイティーチャーには録音機能が付いていた。

当時、もちろんラジカセなど一般家庭にある代物ではなかったし、身近に録音出来る装置は文字通り魔法の箱だった。

ぼくは録音に夢中になった。

特におとんとおかんの会話を録音し聞いては笑い転げた。

おとんとおかんの何気ない会話は、録音した後冷静に聞いてみると夫婦漫才そのものだった。
おかん「おとーちゃん、風呂上がってからパンツちゃんと変えた?」
おとん「おう、ちゃんと裏返したわ」
おかん「あほ・・。
」生で聞いていると聞き流す程度のばかげたボケと突っ込みではあるが、これを録音して聞くと無茶苦茶面白かった。

その他、テレビの野球中継や音楽番組を録音しては聞いていた。

マイティーチャーは開発時の設計ミスなのか、それともあえてそういう風にしたのかは分からないけれど、録音されていない無地シートだけではなく、講義が収録されたシートまで上書きが可能だった。

おかげで50枚ほどあった講義シートのうち無傷なものは2,3枚になり、もはや販売用のデモ機としての役割は果たせない状態だった。

おとんも「これは売れん」と思ったのか、それ以降マイチィーチャーに興味が無いようだった。

ある日、松下くんが店に遊びに来たので、ぼくはマイチィーチャーで録音した音楽を聞かせてやった。

松下くんはものすごく驚いたので、次に松下くんとぼくとで、沢田研二の「危険なふたり」を録音しながら歌った。

僕たちは歌詞を最後まで間違えず歌えるまで、何度も何度も取り直した。

次の日、松下くんとぼくは喉がかれて殆ど声が出なかったので、学校の先生は心配してくれた。

数日後、松下くんがおかんを連れてお店にやってきた。

「むちゃくちゃ勉強がはかどるからマイティーチャーこうて・・。
」と松下くんがおかんに嘘をついたのだった。

おばちゃんが「おたくでやらしてもうた、教材の機械ちょっと見せてくれへんやろか?」とおとんに言った。

ぼくはお店の裏に行きマイティーチャーをもってきた。

「どないして使うん」
といわれたので、僕はもう一回お店の裏に行き講義シートを持ってきた。

そして算数の11を取って機械にセットしスタートボタンを押した。

「さんすうの11・・・・」と機械の先生の講義が始まった。
おばちゃんはちょっとびくりした様子だった。

ぼくは内心、他の科目も聞かせてほしいと言われないかドキドキしていた。

算数の11以外はどれが無傷の講義シートか分からなかったからだ。

「あんたほんまに勉強すんのん?」とおばちゃんが言った。

「むちゃくちゃするわ!!」と松下くんが大声で答えた。

おばちゃんはおとんに機械の定価を聞いて2割値切ったあと「1台取り寄せといて」と言って帰った。

世の中のたいがいのおかんは、おとんの巧妙な嘘はすぐ見破るのだけれど、息子の単純な嘘は見破れない。

それからしばらくして、山城くんもおかんを連れてうちにやって来た。

松下くんが手口を教えたようだった。

ぼくは山城くんのおかんになんか悪い事をした気がした。

そんな気持ちとは裏腹に松下くんの手口は鼠算式で瞬く間に広がった。

録音機が目当てのドラ息子と、息子の成績アップを信じるおかんが連日お店にやって来てはマイティーチャーを予約していった。

ある日、奈多川商事の専務がうちの店に来て「どうやったらそんなようさん売れまんねん?」と聞いた。

おとんはもごもごしていた。

その夜の夕飯でおとんは「もうマイチィーチャー売んはやめや」と言った。

おばーちゃんはうれしそうだった。

ぼくも賛成だった。

おかんは初めに猛反対した手前、なにも言わなかったけれど「残念・・。
」と顔に書いてあった。

ぼくはそんな小心のおとんがとても好きだった・・。

2017.02.02 Thursday


第8章 1ダースの消しゴム


出来ることなら消しゴムでその日1日を、まるごと消してしまいたい苦い思い出がある。
小学校5年に上がった新学期早々の春だった。

おばーちゃんがぼくの進級祝いに「クイズ大百科」という本を買ってくれた。

右のページにイラスト付きのクイズが書いてあり、左のページに答えが書いてある。
全部で50問くらいのなぞなぞが収録されてある本だった。

ぼくは、毎日寝る前布団の中で「クイズ大百科」を読むのが日課となっていた。

2週間も経たないうちに、その本に収録されているクイズとその答えはほとんど、そらで言えるようになっていた。
ぼくが通っていた梶田小学校では、高学年になると月の最終土曜日の3時間目に「お楽しみ会」という会をやることになっていた。

飴やチョコレートなどのちょっとしたお菓子とお茶が用意され、先生に指名された生徒が歌や小話などの特技を披露して、他の生徒や先生が感想を言い合うといった会だった。

4月の「お楽しみ会」で担任の福本先生が「金田くん、特技を発表してくださいと」言った。

ぼくは「クイズ大百科」で覚えたクイズをやることに決めた。
「日本で一番高い山は富士山です。
では日本で一番長い川は何川でしょう?」5人くらいの生徒が手を挙げた。

ぼくはクラスの中で一番仲の良い松下くんを当てようかと思ったのだけれど、きっと間違うだろうと思った。
周りを見渡したらクラスで一番勉強ができる谷本さんも手を挙げていたので谷本さんを当てることにした。

「信濃川です。
」と谷本さんが答えた。

「当たりです。
」と僕がいった。

クラスのみんなが拍手した。

2問目のクイズはぼくがアドリブで作った。
「日本で一番高い山は富士山です。
では日本で一番低い山は何山でしょう?」
今度はだれも手を挙げなかった。

「答えは東山です。
」とぼくがいったら、みんなが一斉に笑った。

東山は町の東側にある、丘に毛が生えたような山だ。
正式な名前が東山ではないと思うが、みんな東山と呼んでいた。

「お楽しみ会」が終わった後、福本先生が「金田くんのクイズ、むっちゃ面白いね。
」と言ってくれた。

次の日の放課後、クラスで一番けんかが強い小田くんが「金田、クイズやってくれ。
」といった。

ぼくは、みんなの前でクイズを2問出した。

その日以降、ぼくは放課後のヒーローになった。
一週間くらい経った頃、そろそろ皆が放課後のクイズ大会に飽きてきているのを感じた。

ぼくはいつまでも「放課後のヒーローでいたい」そう考えていたんだと思う。

そこで、考え付いたのがクイズの正解者に景品をあげるという演出だった。

問屋のおにーちゃんがくれた新作文具のサンプルをクイズの正解の景品にし、正解者に配った。

「放課後のクイズ大会」は再び活気づいた。

やがてサンプル品の手持ちが無くなると、お店の商品をくすねるようになった。

「おかーちゃん、消しゴム無くなったから、1個持っていくで・・。
」といって棚から4,5個の消しゴムをくすねた。

そんなことを何回か繰り返しているうちにものすごく心が痛んだ。

当たり前のことだが、おばーちゃんとおかんとおとんが一生懸命はたらいて儲けた利益が減るからだ・・。

翌週のある日、山城くんが太鼓焼きを買いに行こうといったので、友達何人かと自転車で隣町のダイエーにいった。

1階の「ファーストコート」で太鼓焼きを買って食べた後、僕達は2階の雑貨売り場を見てまわった。

文房具のコーナーを見ていた時、僕の心に悪魔が入りこんだ。

そろそろ帰ろうということになり、みんなで駐輪場に向かった時、ぼくは「お腹が痛いからトイレに行ってくる。
先帰っといて。
」とみんなに言った。

みんなが自転車に乗って駐輪場から出て行くのを隠れながら見届けた後、ぼくは2階の文房具コーナーに向かった。
文房具コーナーを2周まわり、周りに誰もいないのを確認して、棚からくだものの香りがついた消しゴムを3つかみ上着のポケットにねじ込んだ。

心臓は高鳴り、こめかみまでどくどくしていた。

小走りで階段を駆け下り、ドアを出た瞬間だった。

いきなり後ろから羽交い絞めにされた。

「こらクソガキ、お前万引きしたやろ!」
青い制服を着たダイエーの警備員2人だった。

ぼくは頭が真っ白になり自分ではない自分が必死に逃げようともがいていた。

そのまま警備員室に引きずられて、いすに座らされた後、逃げないように中から鍵をかけられた。

ぼくはポケットから消しゴムを出した。
消しゴムは全部で12個あった。

警備員の1人が紙と鉛筆を出して「名前と家の電話番号をここに書き」と怖い目でやさしく言った。

「それだけは堪忍してください」とぼくは泣きながら何回も言った。

「ほんなら警察連れていかんなあかへんで・・」ともう一人の警備員がいった。

どうしようもなくなったので、ぼくは紙に名前と電話番号を書いた。

警備員は受話器持ち、黒電話のダイアルをまわした。

「もしもし金田昭洋君のおかーさんいらっしゃいますか?」
電話に出たのはおかんのようだった。

「私、ダイエー中木店の警備の者ですが、実は息子さんが万引きしましてん。
迎えに来てもらえますやろか?」
おかんがやって来るまで30分くらの間、警備員のおちゃんが「今回が初めてか?」とか「悪い事は癖になるから捕まってよかった。
」とか言っていたけれど、ぼくは上の空だった。

おかんが慌てた様子でやって来て「あんたなんちゅう事したん」といってぼくの頭を叩いた。

さらに盗んだ物が消しゴムだと分かってさらにもう一発殴られた。

おかんは警備員に何回も謝って、ぼくは、「もう二度とやりません。
」という誓約書を書かされた。

家に着いた時、おとんは配達に出ていた。
おかんはどういう風に怒ったらいいのかすら分からなかったみたいで、ずっと黙っていた。

おとんが帰って来ておかんが今日の事を掻い摘んで話をした。

おとんは顔を真っ赤にしてぼくのほっぺたに往復ビンタを2往復させた。
「お前のやった事は万年筆泥棒とおんなじことやぞ!!」と怒鳴った。
ぼくははっとするのと同時にとてつもない強烈な後悔に襲われた。

足と手が小刻みに震えて止まらなかった。

店を閉めて夕飯の時間になってからも、ぼくはずっとお店で泣いていた。

だれも呼びにはこなったし、みんな心が傷ついていた。


おばーちゃんのお店では、今までどんな事があっても誰かが突破口を開いて解決してきたけれども、今回ばかりは誰もどうも出来なかった。

それから2週間くらいは、灰色の闇がお店を覆っていた。

その2週間、夕飯でおとんは冗談も言わなかったし、普段は機関銃のようにしゃべるおかんも口数が少なかった。
もちろんぼくも暗かった。

ようやくみんながの心の傷が癒えたころ、何で消しゴムだったのかという話題になった。

けれど、それはぼくにもわからなかった。

何年か経ってぼくがほとんど大人になった頃、おばーちゃんが「おとんも小さい頃、同じ様なことをした」と教えてくれた。

おとんは大学ノートだったらしい。

くだもののにおいがする1ダースの消しゴムと大学ノート。
その時ぼくの心の傷はおとんと半分ずつになったけれど、おばーちゃんは2回同じ心の傷を負っていたことを知った・・。

2017.02.01 Wednesday


第9章 「昭和の第4コーナー」


小さな町の小さな文房具屋、時の流れが止まっていたようなおばーちゃんのお店は、おとんの文房具屋デビューとともに時間の流れが一変した。

今思えば、おとんの文房具屋デビューは一つのきっかけにすぎない。

昭和という時代が第4コーナーを駆け抜けゴールに向かうラストスパート真っ只中にぼくたちはいたのだと思う。
おとんが発明した??「文房具の出前」は相変わらず絶好調だった。

まぐれの域は抜け、なんとなくちゃんとした波を掴んだ。
そんな感じだった。

おとんは朝から晩まで配達に追われ、仕入れの量も格段に増えた。
問屋さんの営業兼配達のおにーちゃんも頻繁に出入りするようになり、お店は活気にあふれていた。

夏休みに入ったぼくは、午前中は宿題、午後は自転車配達員として借り出された。

自転車で行ける範囲は僕が担当だった。
友達と遊びに行ったり、野球をしたりする時間はあまりなかったけれど、もともとお店の手伝いは嫌ではなかったし、そんなに苦にはならなかった。

差し詰め、おとんが営業第1課でぼくが2課。
少なくともぼくはそう思っていた。

ぼくの自転車の荷台には「ボテバコ」という箱が付いていた。
郵便局員の自転車に付いてあるレンガ色の箱だ。

それはぼくの小さな自転車におおよそアンバランスで、おかんは箱だけ走ってるみたいとよく笑っていた。

配達先のおっちゃんやおばちゃんは、みんなおせっかいな商売の先生だった。

小学生が商品を配達したり、集金したり、返品を取りに来たりするのが微笑ましく、応援してくれていたのだと思う。

山上紙業の専務は商品の置き方一つにいちいちうるさかった。
ノートの裏表が全部一緒になっていなかったら、「ちゃんと揃えてもってこい!」と言ったり、ボールペンをばらで持ってくると、「今度からゴムで縛って来い!」と怒られた。

昭和精機のおばちゃんは挨拶にうるさかった。
いつも「こら!ぼく「毎度」に元気がない!!」といった。

中村製菓に配達に行くと、おばーちゃんと同じ年代の事務員がいつも帰りにチラシの紙でつくった袋にあられを入れて持たせてくれた。
焼きたてのあられは、ものすごく良い匂いがして、ぼくは中村製菓に配達にいくのが毎回楽しみだった。

その反面、2つ苦手な得意先もあった。

1件は柳田商店という同級生のおとうちゃんがやっている店だった。

梶田病院の敷地内にある柳田商店は入院患者のために生活雑貨を売る店だった。

柳田くんもぼくと同じ境遇らしく、ぼくが配達にいった時はたいがい店番をしていた。

「毎度です!」
「いらっしゃい!!」
小学校の同級生に向かっておとなの会話になるのがとても気恥ずかしかった。

柳田くんもきっとそう感じていたんだと思う。

もう1件は駅前の梶田不動産だった。

梶田不動産には、ちょっとだけ色の付いためがねの奥から怖そうな目を覗かせている社長と、いかにも怖そうな奥さんがいた。

梶田不動産に初めて配達に行った日のことだった。

商品をカンターに置き、お金を受け取って帰ろうとした。

「ぼく、ちょっと待ち!!」奥さんが怖い声色でぼくを呼び止めた。

「ぼくは商売人の息子やろ?」
「はい」
「ほんなら、手ぶらでかえったらあかんがな」
「配達に来たら、帰りには必ずこういうんや」
「切らしてるもんありませんか?」
奥さんは机の引き出しを開けてから「次、近所に配達に来る時、方眼紙を2冊持ってきてな」とぼくにいった。

ぼくは次の配達先で、梶田不動産の奥さんが教えてくれたことを早速試してみた。
「なんか、切らしてるものありませんか?」
事務員の女性は、少しびっくりしたようだったけれど、慌てて自分の机の引き出しを探りはじめた。
さらに周りの事務員さんに「何か注文するもある?」と聞いてくれ、取りまとめたメモをぼくに渡してくれた。

お店に帰り、メモをおとんに渡してから、今日のことを報告した。

おとんは満面の笑みで「ようやった!!」と褒めてくれた。

おばーちゃんとおかんもニコニコしていた。
空が今にも泣き出しそうなある日の午後のことだった。

そんな天気にもかかわらず、ぼくは「ボテバコ」にビニールカバーを掛けずに配達に出かけた。
いつもはおかんが天気を気にしていて、雨が降りそうな日には「カッパとビニール忘れたらあかんで」と注意してくれたのだが、その日はおかんも自分のことに追われ、天気のことまで気が回らなかった。

山上紙業に着く間際で激しい夕立が降り始めた。

「ボテバコ」の商品の上のほうは水浸しだった。

ぼくはびしょ濡れになった便箋4冊とプラスチックサシをもって山上紙業の事務所に続く階段を上った。

入り口の手前でぼくは便箋をシャツとズボンの間に隠した。

商品の体裁にうるさい専務に、ずぶ濡れの便箋を見せたらまた、こっぴどく怒られると思ったからだ。

ぼくはプラスチックサシだけカウンターに置いた。

「便箋は品切れか?」と専務が聞いた。

「明日持ってきます。
」とぼくは答えた。

専務はカウンター越しにぼくのお腹を触った。

「それ、出してみ!」
ぼくは、びしょ濡れで表紙が波打った便箋をカウンターに置いた。

それを見た専務は自分の机に戻りタオルを持ってきて便箋を丁寧に拭いた。

「なんぼや?」
「480円です」とぼくは答えた。

帰り道は幸い激しい雨が降っていたので、ぼくの涙は雨と一緒に地面流れた。
ぼくの町の先生たちはとてもおせっかいだった。

昭和の第四コーナー・・
ものすごくいい時代だったのかも知れない。


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