全章の一覧

    プロローグ    第1章 おばーちゃんの店    第2章 おとんの決断    第3章 通天閣
    第4章 オートマチック TOYOTA かむり    第5章 ブルーメタリックの万年筆    第6章 小さな文具屋のイノベーション
    第7章 一家に一台「マイ ティーチャー」    第8章 1ダースの消しゴム    第9章 「昭和の第4コーナー」
    第10章 くすり屋に生まれて    第11章 おかんとぼくの暗黙同盟    第12章 幸運の白いヘビ
    第13章 パンチパーマとおんなごころ    第14章 誕生日には筆ばこを・・    第15章 「ままならず」の呪文
    第16章 ファーストラブ(初恋)    第17章 世界で一番暑い秋    第18章 かすれ声のアカペラ・・(素歌)
    第19章 真珠とおしるこ(前編)    第20章 真珠とおしるこ(後編)    第21章 tough pulling(引きの強さ)
    第22章 文房具屋の匂い・・    第23章 さくら色の嘘    第24章 男子、たまに泣いてもいいんよね
    第25章 走ればええねん。ただ速く!!    第26章 朝ごはん、食パン、チーズとマヨネーズ    第27章 文房具屋に生まれて
    第28章 夜道に紺色の浴衣    第29章 違う理由    第30章 祭りの後に・・(前編)    第31章 祭りの後に・・(後編)

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第29章 違う理由

梅雨のど真ん中、6月の終わりに、正志にーちゃんが、突然うちのお店をやめる事になった。
正志にーちゃんのおとんが病気になって、実家に帰ることになったのだ。

正志にーちゃんがその事を告げた日から
おとんも、おばーちゃんも、おかんも必死で説得を試みた。

「学費は毎月の給料からの天引きと出世払いで立替たるから、学校だけは卒業しろ。お前の人生これから長いねんからなんとかがんばれ」とおとんが言って、「もう半分以上、大学に通てんからもったいないわ。なんとかなれへんの?」とおかんがいった。

正志にーちゃんは「おやっさん、奥さん、ありがとうございます。ほんま気持ちだけでありがたいですわ」といって目に涙をためながら「すいません・・すいません」と何度も何度も呟いていた。

それから、2週間ほど正志にーちゃんは、贔屓にしてもらったお得意さんの所におとんと一緒に挨拶まわりをした。

正志にーちゃんは、もうほとんど家族同然で、ぼくにとってはちょっと年の離れたおにーちゃんだった。
おとんが出来ないキャッチボールもやれてうれしかったし、何より気まじめで得意先からものすごく信用されていて・・辛抱強くて・・、

黒縁メガネで背が低く、見てくれはけしてかっこよくなかったけれど、ぼくにとってはものすごくかっこいいおにーちゃんだった。

正志にーちゃんがいなくなる事はものすごく受け入れがたいことだったけれど、
当時、反抗期の入り口に立っていた僕は、感情的な表現を思い切り押し殺して・・。

「正志にーちゃんにも事情があるねんから」と少しうろたえるおかんに説教的なものをしたりもした。

正志にーちゃん、文房具屋としての最後日、最後の配達から帰って来てぼくたちはささやかな送別会をやった。
本当にささやかな送別会で、おかんがバラ寿司と関東だき(関西ではおでんを「関東だき」という)を作ってみんなで食べて、いろんな話をした。

普段はあまり喋らない正志にーちゃんがその日はいつになく、いろんな話を自分からした。
「ある日、加藤物産に配達に行くと事務所に一人だった川崎専務が社長の席に座って満足そうに新聞を読んでいて、配達に入ってきた正志にーちゃんと目が合って、ものすごくバツが悪かった」とか、
「今まで黙っていたけれど、タケダ精機の駐車場の花壇をアクセルとブレーキを間違えてバックでなぎ倒し、そのまま逃げて帰ってきた」とか、

正志にーちゃんが文房具屋デビューして2年半、小さな町の小さなな文房具屋とただ生真面目な夜学生・・・
それでも、それなりにいろんなことあったのだ・・とその日初めて知った。

次の日、正志にーちゃんはおとんの同級生の辻岡運送から2tトラックを借りて、家財道具を積み込み、下宿を引き払った・・。

正志にーちゃんが去ってから、おかんが教習所に通いはじめた・・。

おとんは、ぼくが文房具屋を嫌らいになったことに気づいているようで・・

それでも、配達の手が足りない現実があって。
「アキ、欲しがってたギア付スポーツタイプの自転車こうたるさかい、おかーちゃんが車乗れるようになるまで、配達手伝うてくれ」と言った。

久しぶりの配達は前と違い、正直、怖かった・・。
得意先の玄関先で躊躇して、、
前は自然に出た「まいど」という言葉が出てこない。
ぼくは得意先にいる時間を極力短くしようと、商品をすぐに渡してすぐに事務所を出るように心がけた。

苦痛だった。

3ヶ月かかってようやく、おかんが免許取って・・
それから半月もしないうちに、正志にーちゃんのマツダファミリアは、前も後ろもボコボコになったけれど・・。
ようやく苦痛な配達から開放されてほっとした。

夏休みに入りぼくは部活の陸上に没頭した。

8月の終わり・・大阪市内にある中学校との練習試合の帰り道・・。

その町の駅前商店街、、酒屋の前で正志にーちゃんを見てしまった。

正志にーちゃんは黒色の「アサヒビール」とロゴが入ったエプロンを腰にまいて、店頭でビールケースを軽トラックに積み上げていた。

ぼくは一瞬固まって、それでも必死に気づかれないよう、その場からダッシュで逃げた。
帰りの電車の中は何。。いくら考えてもよくわからなかった。

正志にーちゃんのおとんが病気だということも、実家に帰るという話も、、
それは、うそだった・・。

なんか事情があったことだけは間違いないのだろう。

あまりにも家族ぐるみだった、うちのお店で働くことがしんどくなったのか・・?
ただ・・お給料が少なかったのか・・?
華やかな大阪市内からあまり離れていない、、けれど平凡で垢抜けしない小さな町がいやになったのか・・?
よかれと思った優しさが、実はプレッシャーだったのか・・?
それとも、、もっと違うことなのか・・?

それから10年くらいたって、、おばーちゃんのお葬式の日、正志にーちゃんと再開した。
その時は聞けなかったけれど・・

もし、また、会う日があれば、きっと聞くべきなんだと思う。

うちのお店をやめたのは、きっと違う理由だったんだと思うから・・。